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南山手から [水彩画]

           大浦天主堂
IMG_1009.jpg  表玄関から見た天主堂

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                グラバー邸より見える天主堂

IMG_1010.jpg 裏側から見た天主堂

  開国によって、各地に、外国人居留地ができ、長崎では、大浦に
造られました。日本人には、まだ、キリスト教の信仰の自由は、認め
られていなかったが、外国人には、修好通商条約によって、信仰の
自由と、居留地に、教会を建てることも、認められた。
 長崎の教会は、フランスパリ外国宣教会でした。主たる目的は、極東
アジア地域諸国に、布教に、身を捧げる、神父養成学校であったと言わ
れ、遠くフランスのパリから、日本で、キリシタンの子孫を、探し出して
布教を、することであったと、言われている。

1863年に、日本26聖人殉教のために捧げられ、「日本26聖人教会」
と、名づけられ、3つの塔に、十字架が、輝き、祭壇の後ろの、ステンド
ガラスを通して入る、初めて見る、太陽の光の美しさと荘厳さは、人々の
目を、見張らさせたと、伝えられている。ー【旧大浦天主堂】

 創建当時のことでは、信者探しも困難を極め、見つからなかった。
 天主堂の建築に、直接、携わった大工、川原久米吉さえも、自らが
信徒であることを、隠そうとしたが、役人にロザリオを所持しているのを
見つかり、捕らえられたという。また、キリスト教の信徒達は、遠藤周作
の小説や、「浦上4番崩れ」で、知られているが、厳しい弾圧と、迫害を
受けることになって、多くの殉教者が、出ることになる。
 1868年に、明治新政府からは、御誓文が出され、その中には、キリ
スト教の禁止という内容が、書かれてあって、ここから、浦上信徒の
弾圧が、始まることになる。罪を犯したわけでもなく、それは、単に、キリ
スト教を、信仰しているというだけで、何千人の信徒が、捕らえられ
拷問を受け、さらに、日本各地に、強制、流配されることになった。
長崎の浦上の地を、追い出され、「ころび」・改宗しなければ、自分の故郷
長崎の地・浦上へは、決して、戻してもらえることは、なかったと、言われ
ている。

 金沢、富山、名古屋、和歌山、姫路、鳥取、岡山、徳島、山口、鹿児島
など等、全国に及んだ。ー長崎では「旅」という。しかし、厳しい拷問
改宗にも、めげず、ひたすら、旅人は信仰を守り通したといわれる。
現在、島根の津和野にも、長崎の大工が、建てたという、有形文化財の
立派な教会があるが、殉教者は、とりわけ、多かったといわれている。

1879年に、構造上の問題と、信徒の数の増加によって、建て直お
されて、現在の姿のものになったが、現存する教会では、日本最古の
天主堂であり、歴史的、文化的な価値からして、国宝に指定されていて
殆どの、多くの観光客が、訪れる場所でもある。
 1枚目の写真のように、土産物屋の通り、レストラン、ホテルなど、綺麗で
見物の通りや建物の姿でなく、3枚目の裏の写真のように、殉教のあった
場所であり、処であったことにも、目を向けてもらえると、長崎を訪ねた
かいが、あるように、思われる。

 私が、幼い頃(戦時中から高校生時代まで)は、「ここには、近づくな」
「怖いヤソがいて、さらわれるぞ」と、脅され、教え込まれてたり、異人屋敷
洋館の屋敷、暗い木立や古びた洋館建ては、こわごわ、覗き見したりして
来たものでした。当時は、ユウカリの樹、楪の樹の匂い、石炭、コール
タールの匂いでしたが、現在では、この辺一帯、カステラと、ピッザの匂い
で、いっぱいです。
 昔は、絵の場所を元気に、探し回ったものでしたが、最近は、坂道が
探し回るのが、つらくなってきました。絵にある、グラバー邸のエスカ
レータ、エレベータについても、私自身、批判的でしたが、つい使います。
 ご存知のように、長崎は、平地が少なくて、坂、階段が、多いですから
聞くところによると、この地域に住む人達の高齢化が、問題で、生活道路
としてと、観光客の方々のために、備えられているのだそうです。
DSCN0235.jpg

DSCN0218.jpg外国人居留地址
マリア園、天主堂、グラバー邸のすぐ近くにある、外国人居留地址です。
立て札には、ここは、ロシア領事館領であると、書かれています。





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SilverMac

大浦天主堂遠景の絵は昔の風景でしょうか。龍馬伝で長崎と高知が近くなりましたね。
by SilverMac (2010-02-14 18:19) 

てっちゃん

SilverMacさんへ
こんばんわ。すみません。
お気づきでしたか、邸改修前の、古いものの内の
一枚です。料亭花月には龍馬がつけたと、言い
伝えられている、「床柱の刀痕」は、ロマンがあって
いいんですが、最近になって、急に、流行で、商魂
たくましさ?の感じが、ないわけでもないんです。
高知と近くなったということは、素敵なことだと思い
ます。




by てっちゃん (2010-02-14 19:47) 

yakko

こんばんは。
大浦天主堂は何故か哀しみを感じます。その歴史のせいでしょうか。
細かい描写の絵ですね〜 坂道、階段が多いと年を取ると辛いです。
尾道も同じような問題を抱えていると聞きました。わが家も眺めは良いのですが、坂道、階段があり暮らすのには不便になってきました。
by yakko (2010-02-14 20:58) 

てっちゃん

yakkoさんへ
写真が、yakkoさんみたいに、うまくいかないんですが
少しでも、状況がわかってもらえるよう、努めているつもりです。やはり、撮りが、難しいです。
長崎では、昔から、住みついた方が、多かったのか
古い町、懐かしさの、残る街筋で、顔合わせる人は
なぜか、年配の人、年寄りの方で、階段、坂道で、見知
らぬ人であっても、すれちがって、声かけあったりする
のも、年配の人です。それぞれに、途中にある小店や
井戸端や水道で、一息ついたり、世間話をしたりして
暮らしている楽しさも、あるようです。

by てっちゃん (2010-02-14 22:58) 

てっちゃん

よしあき・ギャラさんへ
訪問、ナイス、有難うございます。

yorikoさんへ
訪問、ナイス、有難うございます。



by てっちゃん (2010-02-21 21:52) 

てっちゃん

e-g-g さんへ
訪問、ナイス有難うございます。
by てっちゃん (2010-03-06 11:39) 

chako

はじめまして。作品拝見しました。
版画と油絵の「造り酒屋のある町」は、迫力に満ちていて特に好きでした。
棚田の油絵も面白いですね。
私も埃を被った昔々の彫塑があります。原点だった頃の真摯な気持ちを思い出すきっかけになりました。
by chako (2010-03-09 07:19) 

てっちゃん

chakoさんへ
初めまして、訪問戴きまして、誠に有難うございます。
わざわざ、古い作品まで、ご覧になっていただき、
感謝申し上げます。少なからず、ご訪問いただける方
も少ないので、ヤル気も失せて、お休みをしようかとも
考えていたところでした。彫塑の作品は、北村西望
先生が、長崎出身であったことから、生前に教えを
受けたものの作品です。体力が落ち、財力もなく
途中で、放り出してしまっていることに、ひどく心を
傷めています。貴兄様の作品、見せていただけると
嬉しいです。楽しみにしています。
by てっちゃん (2010-03-14 22:56) 

be-sun

素晴らしい絵です 休まないで続けて下さい!
by be-sun (2010-03-22 10:32) 

てっちゃん

be-sunへ
初めまして、訪問、身に余る、励ましのコメント
を戴き、嬉しいです。本当に有難うございます。
最近は、まったくヤル気をなくし、休業同然に
しています。

by てっちゃん (2010-03-28 18:57) 

てっちゃん

tubomiさんへ
訪問、ナイス有難うございます。
by てっちゃん (2010-05-06 17:32) 

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